競輪場の閉鎖の現状と影響について

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はじめに

競輪は、日本全国で多くのファンを魅了する人気の公営競技です。しかし、ここ数年でいくつかの競輪場が閉鎖されている現状があります。

この動きは競輪ファンにどのような影響を与えているのでしょうか。本記事では、競輪場の閉鎖に至った背景と、その影響やこれからの展望について詳しく解説いたします。

 

1. 競輪場閉鎖の背景

競輪場が閉鎖される背景には、複数の要因が複雑に絡んでいます。

まず、収益面の低下が大きな原因となっており、これは観客動員数の減少に直結しています。

例えば、2002年に閉鎖された門司競輪場は、1965年以降特別競輪が開催されず、小倉競輪場との売上格差が拡大し、さらに炭鉱の閉山や鉄鋼業の低迷により赤字に転落しました。バブル景気で一時的に黒字になったものの、バブル崩壊後は再び赤字が続いて、収益の改善が見込めないことが廃止の背景でした。

近年はオンラインギャンブルの普及が進んで、競輪場に足を運ばずスマートフォンやパソコンでギャンブルができる便利さがあります。

競輪に限らず、娯楽のあり方が時代と共に変化し、若年層の興味はスマートフォンゲームや他のエンタメコンテンツに向かう傾向が見られます。

それが競輪場で観戦するという伝統的な形式の魅力を薄れさせてしまっているのです。

また、地域の人口減少や高齢化による地域需要の変化が影響していることもあります。

競輪場が敬遠される背景には、こうした時代の流れによる地域社会の変化もあり、閉鎖の決断を迫られることになったのでしょう。

 

 

2. 各地の競輪場閉鎖事例

日本では、かつて多くの競輪場が存在していましたが、いくつかが閉鎖されています。

例えば、札幌競輪場は1950年に開設されましたが、1960年に閉鎖されました。この施設は現在、月寒体育館として利用されています。理由としては、地元以外から多くのファンが訪れる人気スポットでありながら、治安の悪化や周辺住民からの苦情、そして経済的な困難が重なったためです。

また、後楽園競輪場も1958年頃から都市開発の一環として移転が進められ、最終的に1972年に休止されました。この跡地には現在、東京ドームが建設されています。後楽園は、かつて12車立てレースが行われたことで注目され、全国1位の売上を誇った時期もありましたが、都知事のギャンブル廃止政策の影響を受けて廃止となったのです。

さらに、松本競輪場は1949年に開設されたものの、わずか2年の運営期間で1951年に廃止されました。

これらの事例は、時代背景や地域のニーズ、経済状況が競輪場の存続に大きく影響することを示しています。

下記は閉鎖・廃止された競輪場です。(休止を除く)

競輪場名 開設年 廃止年 地区 廃止・休止の原因または理由
松本 1949年 1951年 関東 開設当初から赤字続きで市の財政状況の悪化もあり、2年で廃止。最初の廃場例となった。
松江 1950年 1953年 中国 ギャンブルへの関心が低い市民性もあり、赤字が累積し、1953年の八百長騒動にて市議会で廃止決定となった。
豊中 1950年 1955年 近畿 公営ギャンブル反対の知事が1956年度以降の開催中止を決定したことや横領・汚職事件などが原因で廃止となった。
京都 1949年 1958年 近畿 市職員が車券購入のために税金を着服したことが契機となって、市長の廃止宣言で第99回競輪後に閉鎖となった。
札幌 1950年 1960年 北日本 道営競輪廃止の意向を持った知事候補者が知事選挙で当選した後の決定による。
神戸 1949年 1961年 近畿 反社会的勢力が競輪場の警備などの仕事で利権を持っていたが廃止の理由は不明
明石 1950年 1961年 近畿 当時の兵庫県知事の県営ギャンブル廃止表明による。
大阪中央 1950年 1962年 近畿 1955年に府知事が府営競馬・競輪の廃止を表明したことが原因である。
福岡 1950年 1962年 九州 1953年に近隣に競艇場が開設され収益に陰りが見え、1955年の農林大臣通達や周辺地域の人口増加などで1962年廃止
甲子園 1949年 2002年 近畿 兵庫県市町村競輪事務組合が赤字を理由に甲子園競輪を廃止
西宮 1949年 2002年 近畿 経費削減の努力もされたが赤字で収支が好転せず甲子園競輪場とともに廃止
門司 1950年 2002年 九州 近隣に小倉競輪場があることや炭鉱の閉山の影響もあり、赤字に転落した。収益改善が見込めないことから競輪開催廃止
花月園 1950年 2010年 南関東 平成から収益減となり、改善の見込みがないことから神奈川県競輪組合が解散の決定をした
大津びわこ 1950年 2011年 近畿 売上額減少に伴い累積赤字が拡大し、収益改善とならなかったため
観音寺 1950年 2012年 四国 赤字決算の連続で収益の改善が見込めない、市議会による主催撤退案の可決
一宮 1950年 2014年 中部 売上高の減少傾向に歯止めがかからない上、経費の増加も予想されていたため

 

 

3. 閉鎖が競輪界と地域経済にもたらす影響

競輪場の閉鎖は、競輪業界全体にとって大きな打撃となります。

まず、選手たちにとっては競技を行う場が減ることで、収入源や活動場所を失うという深刻な問題を抱えます。選手は競輪を職業としているため、競輪場の減少は直接的に彼らの生活基盤を揺るがすことになるのです。

また、競輪界に携わる各種団体やスポンサー企業も、その影響を受けることになるのは間違いありません。これに伴い、競輪界を支えていた多くの職が失われるリスクが増し、関連産業にも波及する可能性があります。

さらに、地域経済に与える影響も甚大です。競輪場は、地域の観光資源としての役割を果たしており、多くの観客が訪れることで地域の飲食店や宿泊施設への利益となっています。それが失われることで、地域経済の縮小が懸念されるのです。

また、地元住民にとっても、週末の娯楽や親子連れで訪れる娯楽スポットを喪失することは、地域に活力をもたらす機会の減少を意味します。

競輪場が構成するローカルコミュニティの役割は大きく、単なるギャンブル場以上に、地域の文化の一部としての価値を持ち得ていたのです。

従って、閉鎖がもたらす影響は競輪界に留まらず、広範囲にわたる社会的、経済的な課題を引き起こしかねません。

 

 

4. これからの競輪界の展望

今後の競輪界は、持続可能な形で発展を遂げるために戦略的なアプローチを欠かせません。

デジタル化の進展に乗じて、レースのオンライン配信を拡充し、インターネットを介した競輪の新しい形態を広めることが重要です。これにより、地域的な制約を超えた新たなファン層の獲得が見込めます。

具体例として、オンライン競輪サービスの強化や、プラットフォームの充実、スマートフォンアプリを介してのファン参加型イベントの創出などがあります。

また、地域振興と連携した新たな試みとして、競輪をテーマにした地域イベントを行うことで、地元の特産品販売や観光資源の開発を同時に進めることができます。

こうしたイベントが成功すれば、競輪の楽しさと地域の活性化を同時に呼び込むことが可能です。

そして、若手選手の育成やトレーニングのサポートも強化されるべきで、競技人口の増加と競輪の社会的認知度への向上を目指します。

地域と共にある競輪の姿を再構築し、新しいビジョンを描くことが、これからの競輪界が直面する重要な課題といえます。

 

 

おわりに

競輪場の閉鎖は避けられない現実かもしれませんが、競輪界全体としては新たなチャンスを模索する大切な時期でもあります。

ファンとして、これからも競輪を支え、新しい競輪の楽しみ方を見つけていきましょう。

 

そして、オンラインでの競輪体験をさらに充実させている「ハッチャン競輪」を利用して、新たな視点から楽しむことをお勧めします。

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