競輪のファン層って変化してるの?昔と今の違いを紹介!

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ネットの普及により若者にも普及しつつある競輪ですが、昔の競輪は、どのようなものだったのでしょうか?

競輪ファン層の変化を知れば、きっと競輪の見え方が変わります。

この記事では、

  • 昔の競輪の雰囲気は?
  • 自転車やバンクはどんな感じだったの?
  • ファン層はどの年代が多かった?
  • ファン層って変わった?

について解説します。

結論ですが、昭和の競輪はレースと中高年男性中心のギャンブルでしたが、今ではネット観戦や多様化により若者や女性にも広がり、ファン層が大きく変化しています。

 

1.昔の競輪の雰囲気は?

昔の競輪の雰囲気について次の通り解説します。

・昭和は落車や接触が多かった

昭和時代の競輪は、現在と比べてかなり荒々しい雰囲気がありました。

レース中の「落車」や「接触」が頻繁に起きていたと多くの関係者が証言しています。

当時は、安全対策や装備が今ほど整っておらず、ヘルメットやプロテクターの性能も限定的でした。

また、選手同士の接触プレーも戦術の一部とされており、観客もそうした激しいレース展開を楽しんでいたのです。

 

・長距離を粘り強く走るタイプが主流

現在の競輪がスプリント勝負の要素を強くしているのに対し、昭和期の競輪では400mバンクで12周(約4,800m)の長い距離を走るスタイルが中心でした。

選手も、持久力を武器としたスタミナ型の選手が多く見られました。

残り2周以上から仕掛ける「ロングスパート」や、「まくり」「追い込み」といった粘り強さを重視する戦法が主流でした。

このように、当時の競輪は最後まで走り切る強さが求められる展開が多く、粘りのある選手が観客の心をつかんでいたのです。

 

・がっしりした大型選手が多かった

昭和時代の競輪選手は、がっしりとした体格の選手が多かったと言われています。

接触プレーが多く、ブロックや競り合いが勝負を左右するシーンでは、体重や筋力の差が明暗を分けました

また、トレーニング内容も現代のような科学的な分析に基づいたものではなく、ロード練習や筋力トレーニング中心の「根性型」が主流でした。

その結果として、特に上半身の筋肉が発達した「全身パワー型」の選手が多かったようです。

 

 

2.自転車やバンクはどんな感じだったの?

昔の競輪の自転車やバンクについて、次の通り解説します。

・スチール製のフレームに金属製のスポークが主流

昭和時代の競輪では、自転車のフレームには「スチール製(クロモリ鋼)」が一般的に使用されていました。

スチールは、当時の技術レベルでも加工しやすく、強度と耐久性に優れており、選手たちのハードな走行に耐えられる素材として重宝されていたのです。

また、ホイール部分に使われていたスポークも金属製が主流でした。

 

・バンクは木製やコンクリート舗装

レースが行われる「バンク(競走路)」について、昭和時代の競輪場では木製とコンクリート製の2種類が存在していました。

木製バンクとコンクリート製のバンクは、それぞれ使用される場所や特徴が異なります。

まず、木製バンクは、主に屋内競技場や短距離トラック(ベロドローム)で使われていました。木材特有の弾力性や滑らかさによって、滑走感がよくスピードも出しやすいため、国際大会などにも向いている構造です。ただし、湿気や気温による影響を受けやすいため、主に屋根付き施設での運用が前提とされていました。

一方、コンクリート製バンクは、屋外の一般的な競輪場で広く採用されていました。耐候性に優れており、雨や風にさらされる環境でも維持が容易で、全国の競輪場で長年使用されてきました。

このように、昭和時代のバンクは、場所や用途に応じて素材が使い分けられ、それぞれの特徴を活かして競輪の舞台を支えていたのです。

 

 

3.ファン層はどの年代が多かった?

ここでは以下について解説します。

・中高年の男性が中心

競輪のファン層は、長い間「中高年の男性」が大多数を占めていました。とくに60代以上の男性が中心的な存在で、競輪場の観客の大部分を構成していました。

つまり、生活に時間の余裕があり、長年の習慣として競輪に親しんでいる人々がコアなファン層を形成していたのです。

このように、昭和から平成にかけての競輪ファンは、競輪場という「場所」を定期的に訪れる中高年の男性が中心でした。

近年ではインターネット投票やYouTubeでのレース配信が一般化し、年齢層は徐々に広がりつつありますが、今でも中高年男性の存在感は大きく残っています。

 

・根強い地元ファン

競輪場には「地元に根付いたファン」が今も昔も多く存在します。

彼らは、地元出身の選手を熱心に応援するほか、日常的に競輪場へ足を運び、その独特の空気感や人とのつながりを楽しんでいます。

また、こうした地元ファンの存在が、地域経済やイベントの活性化にもつながっています。

地元密着型の文化とファン層の存在は、競輪の持つ独特の魅力のひとつであり、今後の集客戦略や地域連携においても重要な役割を果たし続けるでしょう。

 

 

4.ファン層って変わった?

ここでは以下について解説します。

・インターネットによる観戦や投票で若年層や女性が増えた

近年、競輪のファン層に変化が見られ、若年層や女性のファンが増加しています。
その背景には、インターネットを活用した観戦や投票の普及が大きく影響しています。

特に、2020年以降の新型コロナウイルス感染症の拡大により、外出自粛や無観客開催が増えたことで、在宅で競輪を楽しむ人が増加しました。

この「巣ごもり需要」により、インターネット投票の売上が飛躍的に伸び、20代から50代の競輪初心者が新たなファン層として加わりました

また、インターネットを活用した情報発信や、YouTubeなどの動画配信プラットフォームを通じたレースのライブ配信、SNSでの情報共有などが、若年層や女性ファンの獲得に寄与しています。

このように、インターネットを活用した観戦や投票の普及により、競輪のファン層は多様化し、若年層や女性ファンの増加が見られます。

 

・情報が届きやすく楽しみ方も変わったことで初心者も増えた

競輪の楽しみ方が多様化し、初心者でも気軽に参加できる環境が整いつつあります。

インターネットを通じて、競輪のルールや選手情報、予想方法などの情報が簡単に入手できるようになりました。これにより、初心者でも競輪の魅力を理解しやすくなり、参加のハードルが下がってきました。

また、ミッドナイト競輪やガールズケイリンなど、新たなレース形態の導入も、初心者や女性ファンの獲得に貢献しています。

これらのレースは、従来の競輪とは異なる雰囲気や魅力を持ち、幅広い層にアピールしています。

このように、情報が届きやすくなり、楽しみ方が多様化したことで、競輪は初心者でも参加しやすいスポーツとなり、新たなファン層の拡大が期待できるでしょう。

 

 

5.競輪のファン層って変化してるの?昔と今の違いを紹介!まとめ

競輪のファン層の昔からの変化について解説しました。

  • 昭和の競輪は落車や接触が多く、スタミナ型の大型選手が長距離を粘り強く戦う荒々しく重厚なレースが主流。
  • 昭和の競輪では、耐久性重視のスチール製自転車と、屋内は木製・屋外はコンクリート製という用途に応じたバンクが使用されていた。
  • 競輪ファンは長年、中高年男性と地域に根付いた地元ファンが中心で、観戦と交流を楽しむ“社交の場”として定着してきた。
  • インターネット観戦や多様なレース形式の普及で、競輪は若年層・女性・初心者にも広がり、ファン層が大きく変化している。

昭和の競輪は荒々しい長距離レースと中高年男性中心の社交場でしたが、今ではネット観戦や多様化により若者や女性にも広がり、今後も増加するでしょう。

 

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